2014/01/25

満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い


( ´ー`)y-~~おいすー

今日は思考の整理をします。

「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい。」ジョン・スチュワート・ミル『功利主義』第二章

有名なJSミルの言葉です。だいたいの意味は
「現状に満足して何も考えないで生きる人よりは、例え生活が苦しくても人生や社会、世界の事や学問に熱心な人でありたいものだ。」
というものです。

人の成長意欲や知的欲求は何から生まれるのだろうか。
別に頑張らなくてもいいんですよ、ほどほどにやっても死にはしないんです。
逆に、なんか挑戦することで、しんどい思いをいっぱいするし。

なんでかなあって考えたら、冒頭のJSミルのような考え方によるのかなと思いました。
結局は、嫌なんですよ。知らないことが。知らないことによって、損をすることが。
お金とか、時間とか、知らないことで損することっていっぱいありますよね。

幸せな人は、自分が不幸であることに気づいていない。
現状に満足してる人でも、他の人から見たら、そんな不幸な境遇でよく満足できるなっていうことがあります。
例えば、社会的弱者と呼ばれる人たちとか。当の本人は、自分が弱者なんて思ってなかったりしますからね。

ぼくは永遠に満足することがないんだと思います。そりゃあ一時的に満足することはありますが。
ぼくにとって満足を認めることは、自分が不幸であることを認めることなんですね。不幸なのは嫌じゃないですか。
常に自分が不満足であると思って、さらに良い状態を目指すこと。それが向上心の根源なんだと思います。

同じようなことを言わんとした言葉はいくらでもあります。
向上心のないやつは馬鹿だ。
現状維持は衰退するのみ。

JSミルの言葉には続きがあります。

「そして、もしその馬鹿なり豚なりがこれとちがった意見をもっているとしても、それは彼らがこの問題について自分たちの側しか知らないからにすぎない。この比較の相手方は、両方の側を知っている。」

両方の側を知ってるほうが有利だと思います。
そんな感じで。ではでは

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